大学や研究機関で非正規職員として雇用されている研究者、いわゆるポスドクと呼ばれる人たちの雇用環境は非常に悪く、最近ではポスドク問題などと呼ばれるようになっています。このブログではそんなポスドクに向けて、 研究者としてアカデミアで生きる以外にも素晴らしい道があることを伝えてきています。
⇒ バイオ系ポスドクのための転職必勝マニュアル
⇒ 転職を考えているポスドクが知っておきたい転職エージェント3選とその活用法
今回はポスドクが新たな職業を選ぶ際にどのようなことに注意したら良いのか、私自身の手痛い失敗談を例にあげながら解説してみたいと思います。
科学機器メーカーから監査法人への転職
これまで何度か触れてきたように、私はポスドクから民間のメーカーへと転職しました。転職までの経緯を物語り風にして書いたものが、このブログのタイトルにもなっているポスドク転職物語です。
転職後の仕事は大変充実したもので、それまでアカデミアの世界でしか生きてこなかった自分にとっては発見と驚きに満ちたものでした。そんな中、転職してから2年ほどたった頃にある資格を目にすることになります。
その資格こそ、米国公認会計士、通称USCPAでした。
USCPAに出会ったことでその後の私の人生が大きく変わっていくことになるですが、その時はそんなことなど夢にも思いません。その時思ったこと、それはこの資格を取れば経営といったものに密接に関わった仕事ができるようになるのではないかといった淡い期待だったような気がします(そもそも私の最初の転職希望業界は戦略コンサルティング会社でした)。
さてUSCPAと聞いても馴染みのない方の方が多いかもしれませんので、この資格について簡単に説明しておきます。
USCPAはその名の通り、アメリカにおいて監査業務などをおこなう際に必要とされる会計資格です。日本でいうところの公認会計士と同じ資格ですね。USCPAがあればアメリカにおいて会計業務をおこなうことができるのですが、この資格を取る目的というのはどちらかというと「国際的な会計知識がある」というアピールの意味合いが強いように思います。つまりいわゆるキャリアアップのための資格ということです。実際、私のまわりでUSCPAを持っている人でアメリカに渡って会計の仕事についたという人はほとんどいませんでした。
ところでUSCPA取得のための難易度ですが、率直にいって日本の公認会計士試験よりははるかに優しいです。勉強の仕方などにもよるかとは思いますが、社会人を続けなが1年〜2年程度の期間で合格することは十分可能です。日本の公認会計士試験は選択問題と論述問題があるのに対して、USCPAは基本的には4択の問題だけから構成されており、こういった点も合格までの敷居を低くしています。
このような難易度にも関わらずUSCPAを取得している人はまだあまりおらず、一方で英語系の資格でもあることから転職や社内昇進などには非常に有利だと考えられており、コストパフォーマンスが非常に良い資格として知られています。
私はこの資格に魅了されました。USCPAを取得すれば自分の人生を大きく変えられるかもしれない。一度しかない人生でせっかくビジネスの道に進むことを決意したのだから、進めるところまで進んでみよう。そんな考えで資格取得を決意しました。
その後、子どもが生まれるなどのイベントを挟みつつも、なんだかんだで1年半くらいでUSCPA試験の全4科目に合格することができました。ちょうどその頃は会計監査業界では人手不足になっており、試しにと応募してみた監査法人から内定をもらうことができました。こうして私は2回目の転職を経験することになるのです。
監査法人は想像を絶する世界だった
さて、こうして30代半ばにしてまったく未経験の業界に足を踏み入れることになるわけですが、率直に言って監査法人での業務はそれまで自分が経験してきたものとはまったく異なるものでした。慣れない業務をしているからだ、そのうちしっくりと来る日が来るだろう。最初のうちはそのように考えていました。ところが日が経つにつれて、自分の中の違和感のようなものがどんどん大きくなってくるのを感じざるを得ませんでした。
私の感じた違和感、それは「文系」と呼ばれる世界に感じたものだったのではないかと、今では考えるようになっています。
元来、人々の個性を「理系」「文系」で区分することに意味は無いと思っていましたし、特に日本では数学が苦手な場合は文系といった安易な考え方が横行しているため、こうした言葉を使うことには慎重であるべきだと頭では分かっています。分かって入るのだけれど、あの空間に感じた違和感を説明するには、「文系」という言葉を使う以外に方法がみつからないと、それまで理系世界で生きてきた自分は思うのです。
それでは、私がここでかぎかっこ付きで使っている「文系」世界とはどういったものなのか。それは一言で言えば、「決められたルールの通りにきっちりと仕事をこなす」世界です。
監査法人に入社してしばらくたってから、こんなことがありました。お客さんのところに打ち合わせにいくということになり、同行させてもらうことになったのですが、その際、打ち合わせで使う資料があるからプリントアウトするように頼まれたのです。打ち合わせ資料にはエクセルやワードのファイルのほか、パワーポイントのスライドもありました。理系研究者の方に聞きたいのですが、人生の中でパワーポイントのスライドを紙に印刷したことってありますか?少なくとも私はありませんでした。そこでA4の1面に1スライドが入るようにプリントアウトしたところ、これでは駄目だといわれてしまいました。正解はA4に2スライドを上下で並べ、それを裏表にして印刷する、それがここのやり方でした。そのほかにも、ホッチキスの止め方、A3用紙の折り方、各資料の重ねる順番など、全てにおいて決まりがありました。また、どのような資料があるかを一覧にした資料も作るようにいわれたのですが、あらかじめ用意されたテンプレートの配列を見やすいように少しアレンジしたところ、そのような変更を勝手にするなと叱られてしまいました。
ここに挙げたのは決められたルール通りに動くことのほんの一例です。ここでの仕事は全てにおいてルールが予めあって、そのルールから少しでも外れないようにするためにどうしたら良いのかを学ぶことが重要なように思われました。なにかの業務を任されたときは自分の頭で考えるのではなく、自分のまだ知らないルールにいかに外れずに仕事をこなすか、そのことだけに注力することが求められているように感じられたのです。
ルール通りに行動するということは、必然的に100点満点の仕事があることが想定されている世界でもあります。ルール通りでない行動をした分だけ点数が引かれていき、どんなに頑張っても100点が最高得点の世界。そんな世界から受ける圧迫感こそ、私の身体と心を少しずつ侵食していた違和感の正体だったのです。
競争社会という現実を目の当たりにして
ここで一つ断っておかなくてはならないのは、こうした仕事に対しては私は全く批判的なことを感じていないという点です。それどころか、このようなルールの一つ一つには意味があって、それらのルールに従って何万人もの人が効率的に動くことこそ、資本主義社会が大きな富を生み出す原動力となっているのであり、そうしたことを身をもって知ることができたのは自分にとって非常に価値のあることでした。
またこのような仕事をもってして「文系」の仕事と名付けることについても違和感を覚える方がいるかもしれません。その違和感はもっともなことであり、文系学部を卒業した人が創造的な仕事をすることはもちろんありますし、その逆に理科系の出身者が決まった方法の仕事にやりがいを見出す可能性も大いにあるでしょう。自分としては、研究者として育ってきた環境と全く異なる思考法を要求される仕事に対して、それまでとは真逆の世界だという意味で「文系」というラベルを簡易的に貼っていることを付け加えておきたいと思います。
さて「ルール通りに仕事をこなす」世界で圧倒的な成果を出すにはどうしたら良いのか?「文系」世界に紛れ込んだ私は、外部からの観察者としてそんなことを考えるようになりました。
やがて気づいたことがあります。それは仕事を正確に、そして素早くこなすこと、それこそが私のおかれた環境において要求されているもっとも重要なスキルではないかということでした。
正確さについては先ほど述べた通り100点満点を目指す仕事の仕方です。うっかりミスが多くて大雑把な私にとっては望むべくもない能力ですが、私の周りにいた多くの人は驚くほど正確に仕事をこなしていました。あまりにも多くの人が正確に仕事をしているため、この能力についてはほとんど差別化の要因にすらなっていないようでした。つまり、正確さは求められるスキルとしては必要条件であって、圧倒的な成果を出すための十分条件ではなかったのです。
それでは圧倒的な差を生む原動力とは一体なにかというと、それはいかに素早く仕事をこなすかということになるのです。そして仕事が速いということは、空き時間に別の仕事を入れることができることを意味するわけで、必然的に仕事の絶対量自体が多くなることと繋がっているのです。
100点満点が決まっている仕事の世界においては、他人よりも1秒でも早く仕事を仕上げること、そして一つでも多くの仕事をこなすこと、これこそが他者と比べて圧倒的な成果を出すために求められていることのようでした。
ただし1日の長さは誰にとっても同じ24時間しかなく、これを伸ばすわけにはいきません。結局のところ仕事の速さというものには限界があり、最高得点が決まっているという意味においては仕事の正確さと質的には変わらないのです。
全てにおいて限界が決まっている世界においては、全員が一斉に一つの目標に向かって突き進みます。そして限界点付近に集まった人々は血の海=レッドオーシャンの中で少しでも差別化しようと消耗し、そしてごく一部の人々のみがピラミッドの頂点に立ち上ることができるのです。私が見たもの、それは少数の資源を求めて多数の人間が奪い合おうとする競争社会の縮図のようでもありました。
生まれてからこのかた自分の好きなことを自分のペースでじっくりと取り組み続けてきた自分にとって、このようなむき出しの競争社会は初めての経験でした。競争社会で生き残るために自分なりに努力しようともがいてみましたが、不得意なことをいくら頑張ってもしょうがありません。どうやって努力しても自分にはできないことがあるという現実をつきつけられ、私は監査法人の世界から去ることを決意しました。
仕事選びでは何に気をつけるべきなのか
監査法人への転職という失敗を通して、仕事選びにとって何が重要なのかを私なりに考えてみましたが、それは結局のところ自分に向いていることは何かを適切に判断すること以外にはないのではないかということでした。自分の場合でいえば、以下のようなことになるかと思います。
- 正解のない問題を、自分なりのやり方で探す
- みんなが当たり前と思っていることでも疑問をもつ
- 仮設と検証のプロセスを繰り返しながら目標に向かっていく
こうやって書き出したものを眺めてみると、自分にはやはり研究者が一番向いていたのではないかと思わず苦笑してしまいます。またすべての人ではないにしても、多くの研究者、ポスドクにとっては上に書かれた私の特性と重なる部分も多いのではないかと思います。
世の中の仕事を「文系」「理系」で大雑把に区切ることを許していただくならば、ここに上げた特性を強く持つ人は文系職にはつくべきではないというのが、転職の失敗経験から得られた私からのアドバイスです。逆に、正解のない問題に取り組むことに苦手意識を持っているような人は(そのような人が研究者の道を自ら選ぶとは考えにくいのですが)、実は会計や経理などの仕事に向いている可能性があります。
そこで「理系」的な職種とは何かということについて最後にまとめておきたいのですが、これは必ずしも研究職に限られたものではないというのが私の今回の主張の最大のポイントです。例えばマーケティングなどは上に書かれた3つの能力を十分に発揮することができるでしょう。それから意外と思われるかもしれませんが、営業というのも非常に理系的な職種です。そもそもどうやって売上を延ばしたらいいかなどは誰にとっても答えのない問題なわけですから、自分なりの考え方を探り、それを一つ一つ検証していく作業というのが非常に重要なのです。ただし、既に売り方や販路が決まっているようなルート営業は「文系」的な能力が要求されますので、単純な職種名だけで判断しては危険だということを付け加えておきたいと思います。
ポスドクの方にとって自分が「理系」か「文系」かを問い直すことはあまりないかもしれませんが、転職を考えている場合はもう一度そこから立ち止まってみることが重要です。もしもいわゆる文系的な職種に興味がある場合は、私が歩もうとして失敗した道のりがどういったものになっているのか、ここで書いたことを是非とも参考にしていただければと思います。
まとめ
今回はバイオ系ポスドクだった私が監査法人というゴリゴリの文系職に転職して気づき、学んだことをまとめました。
人生自体を実験とみなせば、私が経験した転職失敗談も仮設と検証の一つのプロセスに過ぎません。肝心なのは失敗したと感じたとき、どのように検証結果を次のステップに活かすのかというのが、私が研究者時代に学んできたことです。ただし転職の失敗のリカバリーはなかなかにハードなものがあり、その点についてはまた別の記事でご紹介していこうと思います。