ポスドク転職物語

【ポスドク転職物語-27】ポスドク、出会う。

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ポスドクだからこそできること。ポータブルスキルのような見えにくいものでなく、もっと直接的にアピールできること。その上で、自分のやりたいことへの道が開けている職業。それは一体なんなんだろうか。

僕はまっさきに研究職が頭に浮かんだ。ただし、アカデミアに残ろうという気持ちは全くなかった。田所教授のような悪魔の戦略を取られてしまったら、それこそキャリアビルディングどころの話ではなくなってしまうからだ。それに、できることならビジネスに関わりたい。そうやって考えると、企業の研究職につくというのが自然な発想のように思えた。ただし、その道が自分のやりたいことへとつながっているのか、いまの段階では良くわからなかった。

モヤモヤした気持ちのまま、僕はバイオベンチャー2社ほどに履歴書と職務経歴書を送った。こんな気持ちのまま面接を受けるのも良くないな、と思っていたが、心配は杞憂に終った。どちらも面接にすら進めなかったからだ。お祈りメールには「研究内容の乖離のため」と書かれていた。企業の研究職では、研究内容のマッチングが極めて重要であるとは聞いていたが、同じバイオ系の研究であっても企業からしてみると「乖離」になってしまうらしい。確かに、僕はES細胞に携わっているとはいえ、研究内容は有機分子を使った基礎的な研究だ。臨床につながる様な成果がでている訳でもない。どうやら、この道もふさがっているようだ。

僕は、果てしない泥沼に沈み込む様な気持ちで日々を過ごすことになった。いくら実験と同じだと思ってみても、こうも失敗が続くとどうしていいか分からなくなる。研究の場合であるならば、最悪中止するというオプションもありうる。いや、むしろ撤退の判断が早い方が良い結果に結びつくことも多いのだ。ところが、今回の転職活動では中止するという選択肢はありえなかった。僕に残された任期には限りがある。それまでに次に進むべき道を見つけられなかったら無職になってしまうからだ。ポスドクとはそういう職業なのだ。

研究の方はというと、三井さんにサンプルを渡してから僕のほうではすることがなくなってしまった。田所教授はというと、着々と「僕の」論文を書いているようであった。そんな中、定例のミーティングが開かれることになった。

ミーティングの始まりは、いつものように三井さんからだった。三井さんは、自分のテーマの進捗状況を淡々と説明してから、

「続いて、我々のグループで進めているもう一つの大きなテーマについての実験結果をお伝えします」

といった。三井さんの口から発せられる「我々の」という言葉を聞いて少し不快な気持ちがしたが、次のスライドを見た瞬間、僕のそんな考えは吹き飛んでしまった。




そこには、僕が何度試してもうまくいかなかったウェスタンブロッティングの結果が見事に示されていたのだ。タンパク質の発現量を示すバンドは、時間が立つにつれ一瞬だけ薄くなり、その後何事もなかったかのようにもとの濃さにもどっていた。それは、蛍光分子が示した強度変化と見事な一致を示していた。

三井さんはスライドを示しながら、すました顔で説明を続けた。

「この実験は感度が非常に重要になるため、従来の方法ではタンパク質の変化量を追い切れませんでした。そこで、今回は新たに発売されたキットを用いた高感度分析を試した結果、予想された通りの結果を得ることができました。」

その言葉を聞くと、田所教授は満足そうな笑みを浮かべ、

「さすが三井くん。これで、我々の考えているストーリーが正しいことが分かった訳ですね。いや、ありがとう。論文の執筆も早まります。このペースでいけば、今年中には投稿できることろまでいくでしょう。」

と全員に聞こえるような大声で三井さんの成果を絶賛した。

僕は信じられない気持ちで結果を見ていた。この実験は何度やってもうまくいかなかったのだ。それが、キットを使うだけでうまくいくとは。そんなことってあるのだろうか。

僕の疑問はミーティングが終ってからも解けることはなかった。相変わらず出張中の黒岩さんのいない居部屋に一人残りながら、僕はキットメーカーのホームページを眺めていた。このキットのことは知らなかったが、製品案内を読むと確かにウェスタンのバンドがシャープになるというようなことが書かれていた。それ自体はいいことだし、論文用のきれいなデータが必要なときに使えば、非常に鮮明な結果が得られるだろう。ただし、このキットを使って感度が上がるなどとはどこにも書かれていなかった。それは、このキットの正しい使い方とは言えないのだ。ましてや、いままでうまくいかなかった実験が、このキットで急にうまくいくなどということがあるはずがない。

僕は、もうなんだか良く分からなくなってぼーっとモニターを眺めることにした。研究のこと、転職活動のこと、これかの人生、僕はどうなっていくんだろう。

そんなことを考えていると眠くなってきた。ウトウトしかけたとき、不意にある文字が僕の目に入ってきた。

製品案内のページ上方に「採用情報」と書かれていたのだ。

まあ、そうだよな。科学機器メーカーとはいえ、企業には変わらないんだから採用活動をしてるに決まってるよな。いままでユーザーとしてしか関わってこなかったからとはいえ、なんだか不思議な気持ちだった。僕はボンヤリしながら、なにげなく採用情報のページをクリックしていた。

そこには、中途採用という項目はあったが、外資系のメーカーということもあって新卒の募集はおこなっていないようだった。中途のためのポジションを眺めているうちに、僕の目はある項目に釘付けになっていた。

それは「技術営業」と書かれた職種だった。営業とはいっても、コンサルティング活動が中心であり、顧客の抱える科学的な課題に対し、自社の製品案内を通して専門的なアドバイスを提供する、とあった。しかも、必須項目として博士課程修了、もしくは同等の経験があり、英語でコミュニケーションが取れること、とある。英語に関しては自信は無かったが、前者の項目ならばっちりだ。顧客とのコミュニケーションという意味では、インターパーソナルスキルという強みもアピールできる。やりたいことへの道もなんとなく開けていそうだ。僕の胸は自然と高まってきた。

僕はさっそくホームページから応募しようと思ったが、待てよと思った。いままで、直接応募してうまくいった試しが無いではないか。それに、もう一つ懸念があった。提出書類には、英語履歴書と英語職務経歴書が必須とある。それは一体なんなんだ。

そんなことを考えていると、ふと以前に検索サイトで見かけた転職エージェントのことを思いだした。そのエージェント会社はバイオ系専門のエージェントということで、研究者や博士課程卒業者などのアカデミア出身者が企業へ就職するためのサポートをおこなっているとのことであった。扱っている内容から、必然的にバイイオベンチャーへの求人が多くを占めているようであったので、その時はそれ以上詳しくは調べなかった。だが、ここならあの企業の紹介もおこなっているかもしれない。

僕はエージェント会社のホームページを開くと、さっそく登録を済ませた。いつものように、返信メールはすぐにきた。まずはエージェントとお話しましょうということだったので、電話のできる時間を告げた。この作業をするのも3度目だ。このプロセスだけはやたらとスムースに進むなあと、自虐的に思いつつ、電話面談の日を待った。

面談当日、電話口に出たエージェントは清水さんと名乗る女性だった。声の感じからして、僕と同じくらいの年代のようである。

僕はいままでの転職活動について簡単に説明し、自分なら何ができるか、ということを考えた結果、あの科学機器メーカーの求人に行き当たったことを説明した。清水さんは僕の説明を丁寧に聞いた上で、次のように話した。

「兼道さんのお話は良く分かりました。そちらのメーカーでしたら弊社からもご案内できますし、兼道さんの希望にもマッチしていると思います。」

僕はその言葉を聞くと思わずほっとした。清水さんは、ただし、と強めの言葉で続けた。

「企業側としても、ポスドクがどのような状況で転職活動をしているのか良く知っているんです。研究がうまくいかなかったから、アカデミアに残るのは難しいから、そういった理由で応募してくる人に対しては非常に厳しく質問を浴びせてきます。兼道さんがその企業に入ったとして、どういったことができるのか、その点をしっかりと準備していない限り、この求人も非常に厳しいものになるということを良く認識なさってください。」

僕は清水さんがポスドクの転職事情などについて詳しいことに驚いた。そのことを言うと、清水さんは笑いながらこう答えた。

「詳しいのは当たり前ですよ。だって、わたしも2年前までポスドクだったんですから。」

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