ポスドク転職物語

ドラッカーに学ぶ、研究の真の目的とは何か?

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研究室を脱出せよ!【20】ポスドクと、ドラッカー。

研究室を脱出せよ!【目次】

最終面接を控えたある日、研究室でちょっとした事件が起こった。三井さんが投稿した論文にエラーが見つかったのだ。不幸にして論文はすでに受理されており、オンライン上では全文が読める状態になっていた。海外の研究者からの指摘がすぐに入ったために発覚したそうで、全く異例のことだったが訂正記事を投稿することになるという。

エラー自体は、試薬の名前に関するちょっとした記載ミスだったが、実験の再現性を担保する重要な項目だと言うことで、訂正は避けられない事態ではあった。

僕は正直言ってことのずさんさにあきれた。論文とは研究者にとって魂である。魂であるから一筆一筆丁寧に書く。書いたものはラボのメンバーによって入念にチェックされ、論理の飛躍がないか、追加の実験は必要ないか、念入りに議論される。もちろん間違いがあっては許されないから、スペルから何までうんざりするまで確認する。そうして投稿された論文は、今度は査読者や編集者によって何回も読み込まれる。だから、一度受理された論文というものに間違いなど入り込みようがないのである。事実、世の中のほとんどの論文はそうなっている。

僕は、「田所方式」とよばれる論文執筆の現場のことを考えていた。教授がストーリーを考え、部下であるポスドクが言われたとおりの実験をおこない、期待通りの結果だけを寄せ集めて最後に教授が一気に論文を書き上げる。この方法は、論文を迅速に作り出すには適した方法なのかもしれない。しかし、はたして問題はないのだろうか?今回のエラーの件とは無関係といえるのだろうか?そんなことを考えると、僕は田所研でのポスドク生活の未来がますます暗くなるような思いがした。

あくる日、僕はいつもより重い足取りで研究室へ向かった。部屋の前のマグネットを見ると、珍しく黒岩さんの居場所が「在室」のところにある。居部屋のドアを開けるてみると、黒岩さんのほかにお客さんが来ているようだった。二人はなにやら深刻そうな顔をしてボソボソと話し合っているようだったが、僕が入ってくるのを見るとびっくりした様子でこちらを見た。

お客さんの年齢は田所教授と同じくらい、長髪オールバックで後ろで一本しばっている姿はさながら侍である。どうみても堅気の商売には見えない。陶芸家か芸人であろうか。

黒岩さんは、僕の顔をみると「おう」と声をかけた。そして立ち上がると、僕の方に向かって陶芸家氏を紹介した。

「今日はお客さんが見えてるんだ。こちら、藤森教授。」

その名前を聞いて、僕はようやく、あっ、と思った。

藤森教授はES細胞の世界では知る人ぞ知るという存在で、今までに残した業績は数多く、毎年ノーベル賞の季節になると名前が出るような人だ。僕はこの分野の専門家ではなかったので、名前だけは聞いたことがあったが、実物を見るのは初めてだった。

「藤森です、よろしく。ケンドーくんだね。黒岩くんから話しは聞いてます。」

そういって挨拶するその声は、大御所と呼ばれる人にはふさわしくないほどの、穏和で気さくな雰囲気をかもしだしていた。

それにしても、なぜ藤森先生がここにいるのだろう。僕の疑問を察したのだろうか、黒岩さんはこういった。

「藤森先生は高校の先輩でね。なにかとお世話になっていて、たまにこうやって話しを聞かせてもらっているんだ。」

なるほど、そんなことだったのか。それにしても黒岩さんと藤森先生が同じ高校出身だとは知らなかった。狭い世界である。そういえば、この二人はどことなく雰囲気が似ているような気もしないではない。藤森先生は僕の方を見ながらほほえんだ。

「出張でこちらの方に用事があってね。いやいや、話しを聞かせてもらっていたのは僕の方ですよ。君も黒岩君も、なかなかおもしろいことやってるねえ。どうだい、黒岩君は変わったやつだろう。相変わらずへんてこりんな本ばっかり読んでるのか?」

「へんてこりんはよしてくださいよ。大脳生理学に基づいた学習法を模索しているんです。」

そういいながら黒岩さんは笑った。

本の話しになって思い出した。黒岩さんから借りていた本があったのだ。僕は一冊の単行本を鞄の中から取り出すと、黒岩さんに礼をのべて返した。

「おう、ありがとう。どうっだった?」

僕は感想を述べた。

「いやあ、面白かったです。ちょっと感動して泣きそうになっちゃいましたよ。特に、マネージャーのただ一つの資質は真摯さである、っていうくだりは。」

そんな僕の話を興味深そうに聞いていた藤森先生が口を開いた。

「なんだか面白そうな話しだけれど、どんな本なの?」

僕は答えた。

「ピーター・ドラッカーという経営学者について書かれた本なんですけど。」

「ああ、ドラッカーかあ。それにしても、随分変わった表紙だね。」

そういって藤森先生は僕の持っている本を指さした。

確かにその本は変わっていた。表紙にはアニメに出てきそうな、いわゆる萌え絵キャラがでかでかと書かれている。野球部のマネージャーである主人公の女の子が、マネージメントという言葉を勘違いしてドラッカーの本を読み始めるというストーリーだ。今でこそ大ベストセラーになているが、当時は発売されたばかりで読者も今ほどは多くなかった。それでも、黒岩さんは発売日に入手し、早々と読んでいたのだった。

「企業の目的は利益でない、なんていう言葉はしびれちゃいますね。」

僕はそういって、黒岩さんの方を見た。

「まあな、確かに良い言葉だ。」

黒岩さんはそう言うと、何かを思いついたのだろうか、小鼻をふくらませてホワイトボードの方へ向かいだした。

「なあ、ケンドー。そしたらさ、研究室の目的って何だ?」

と、唐突に尋ねてきた。

(そら〜、きたっ。)と僕は内心、舌打ちをしたが、藤森先生はそんな僕らのやりとりを楽しそうに眺めている。

「んー、なんでしょうねえ。。。まあ、論文出すっていうのは、まずありますよね。」

そう言いながら、昨日の論文訂正騒ぎのことを思い出した。

「うん、そうな。まあ、論文。他には?」

そう聞かれて、僕はなんだかケース面接みたいだなあと思った。あとは、教育とか、まあそういったものかですかねえ。そういってたどたどしく答えた。

「うーん、そうなんだけど。」

黒岩さんは、明らかに他の答えを待っているようだった。そんな僕らを見て、藤森先生が助け船を出した。

「僕が自分の仕事を振り返ってみるとね、論文を書いている時間というのは確かにあるんだけれど、グラント(研究費)申請の準備をしているとき、これが結構あるんだよ。だから、教授の仕事っていう意味では、グラント、っていうのが大きいよね。」

黒岩さんはその答えを聞くとうなずいて、グラント獲得、と書いた。なんだか、僕はこの二人に操られているのではないか、という気がしてきた。

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