ポスドク転職物語

【ポスドク転職物語-05】ポスドク、人生の天秤について考える。

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「ケンドーの言っていることは、間違ってるな。」

そう言うと、黒岩さんは机の上におかれたタンブラーと僕の顔を交互に見た。しばらく悩んでいるようだったが、ため息をついて僕の方にむき直した。どうやら激レアはあきらめたらしい。

「まずだな、ポスドクっていうのは給料をもらってるわけだ。雇われの身なわけだな。そこが学生とは違う。学生っつうのはさあ、授業料を払ってるわけでしょ。まあいってしまえばお客さんなんだよ。そこが俺らとは違う。でだ、ケンドーと俺の給料はどこから出てる?」

「それは、、、研究室から出ていると思いますが。」

「そう。もっというと、田所教授のおかげなわけ。田所教授が申請書を書いて、高い倍率の中からそれが選ばれて、それで研究費を獲得できたわけだ。俺らの給料は、その研究費から支払われているんだよ。だから、雇い主がこういう風に働いて欲しい、っていったら、そうしなきゃいけないのは小学生だって分かるだろ?自分のやりたいことができない、なんて20代の社員がいったら即刻クビだぞ、このご時世。」

というと、僕の方をじっと見た。僕はというと、何も言い返せなくて黙っているしかなかった。

「それにだ。プロポーザルにしたって、まず大切なのは田所教授を納得させることだろ。いくら自分が良いと思ったって、上司が納得しなかったら企画書なんて通らないぜ。」

なるほど、確かに言われてみればどれも正論だ。そう思いかけたが、あれっ?そう言っている黒岩さん自身が、毎月毎月プロポーザルを出しては玉砕して、田所教授の悪くしている張本人なのでは?

そんな僕の疑問を読み取ったのか、僕が口を挟もうとした瞬間、黒岩さんは僕の言葉を遮った。

「しかしだな、そういう理屈を俺たちみたいな研究者にあてはめていいのか、っつう疑問は、確かにある。」

そういうと、黒岩さんは自分のデスクのパソコンからブラウザを立ち上げて、何かを検索し始めた。目当てのものが見つかったのか、僕を手招きして画面をのぞき込むような仕草をした。

「これはな、ノーベル賞をとった科学者が、その研究をいつ発表したかを示したグラフね。どう、なにか気付いた?」

そういうと、画面が見やすいように僕の方に向けた。

「ええと、グラフはだいたい30代のところにピークがありますね。50代以上になると、極端に少なくなっている。」

「そう、そういうこと。ノーベル賞っていうとさ、よぼよぼの爺さんが取っているイメージがあるけど、研究自体はすごく若いうちにやっちゃってるの。研究を実際に発表するのはタイムラグがあるから、アイディア自体は20代のうちに出てきた、って人だって珍しくないと思う。だからね、うちのラボで言うと田所教授が48歳でしょ、だからこの人がノーベル賞級のアイディアを出す可能性はかなり低い。次が俺。で、ケンドーが今29だから、可能性としてはおまえが一番高い。」

そう言うと、黒岩さんはニヤっと笑って、

「もっとも、ケンドーのこの前のプロポーザル程度じゃあ、イグノーベル賞だって取れないだろうけどな。」

と言った。

「ただ、俺は面白いと思ったよ。もう少し考えてみる価値はあると思う。」

そういうと、黒岩さんは伸びきってしまったラーメンをぞぞっ、とすすって
「まあ、こういうのは屁理屈、ともいうけどな。」
と付け加えた。

僕は、黒岩さんのいっている言葉が頭の中をぐるぐる回って、この人は結局どう考えているのか訳が分からなくなっていた。黒岩さんはそんな僕をからかうように、

「ところでケンドー、お前給料いくらもらってる?」

と唐突に聞いてきた。




思わずびっくりして黒岩さんの顔を見てしまったが、その目が意外に真剣だったことに気付き、僕は正直に話した。

僕の給料は月額28万円。ここから社会保険費や年金を自分で払う。ボーナスは無し。たいして多いとも思わなかったが、独り身なのと、家賃の安いQ市でやっていく分には不満はなかった。

「まあそんなもんだろうな。俺も似たりよったりだ。でさ、ケンドー。田所教授はいくらもらっていると思う?」

僕は見当もつかなかったので、素直に分からないと言った。

「まあ国立の研究機関だから、そんなに凄く良いわけじゃないけど、それでも今兼任しているプロジェクトの給料と、共同研究している企業からの謝金を合わせると、だいたい年収1000万くらいかな。」

黒岩さんはそういうと、壁掛けのホワイトボードに向かってグラフを書き始めた。

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「年収1000万円が多いか少ないか、考え方は人によって違うわな。でもまあ、俺らからすれば多いよな、これは。で、教授は自分の思い通りの研究ができている。だからこの場所だ。」

というと、グラフの第一象限に「田所教授」と書きこんだ。

「でな、昔はさあ、研究者なんて言うと給料は少ないけどやりたいことができるんだから、こんな幸せな商売はない、なんて言われてたんだよな。だから、まあこの場所だ。」

そういって、田所教授の下に「ポスドク」と書き込んだが、そのあとに「?」と付け足した。

「ところがだよ、ケンドーは少なくとも自分がやりたいと思っていたことができていないわけだ、現状は。」

僕はそれを黙って聞いていた。厳密に言えば、いま与えられたテーマは充分面白いものだったし、嫌々やっているとは言えない。だけど、自分のプロポーザルを相手にしてくれず、いわれたことだけやれ、といわれたことに対しては到底満足はできなかった。そういう意味では、やりたいことができる、とはとても言えない状況だった。

「そうすると、ケンドーはここね。これ、最悪の位置じゃん。」

といって、貧乏、かつやりたいことができないエリアに僕の名前を書きこんだ。

「人生はだいたいの場合トレードオフなわけよ。あちらをたてればこちらが立たず。そのバランスを見極めつつ、幸せを探していくんだな。だけどさ、今ケンドーの天秤は、両方空っぽだぜ。」

そういいながら、黒岩さんは今書いたグラフを消し始めた。キュッキュッ、というホワイトボードのきしむ音が居部屋の中に響き渡る。僕は目の前が真っ暗になったような気がして、ただただその音を聞いているしかなかった。黒岩さんは、そんな僕に向かって言った。

「雇われの身として、田所教授の言われたことをする、という選択肢はありうるよ。だけど、それこそそのテーマがうまくいくかなんて分からない。そうこうしているうちに3年の任期が切れる。研究は失敗する。そうやって、研究者にとって一番大事な20代を失う可能性だって充分あり得るわけだ。そういうのはさあ、キャリアビルディングとは言えないんだ。」

僕はキャリアビルディングという言葉を聞いたことがなかったのだが、黒岩さんの言わんとしていることはなんとなく分かった。でもだ。じゃあどうすればいいのだ??

黒岩さんは席に戻ると、残りのラーメンを一気にかきこんだ。そうして、呆然としている僕に向かってやさしく言った。

「まあ、ちょっときついことを言ってしまったかもしれんけど、これが2010年現在、日本でポスドクをしようと思っている人達の現実な訳だ。」

おっさんのたわごとだと思って聞いてくれ、といいながら黒岩さんは続けた。

「田所教授のやり方が良いか悪いか、それは誰にも分からない。だけど、ここでは田所教授の言う通りになることになってるし、そのやり方をケンドーが変えることは絶対にできない。大切なのは、そういう現状に対して、お前がどう行動するか、なわけね。いつまでも前のラボのやり方を礼賛しつづけるのか、それとも、いまある現状の中で最善手をみつけるのか。それを決めるのは、ケンドー自身だからね。」

そう言うと、黒岩さんは白衣を着て、
「ほいじゃ、実験いってくっから。」
と言い残して、部屋を出て行ってしまった。

その晩、僕の頭の中は黒岩さんの言った言葉が何度も何度も繰り返され、なかなか寝付けなかった。

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