どうも、元研究者のケンドー修介(@tensyoku_postdo)です。
みなさんはVALUというサービスを聞いたことはあるでしょうか?
私も最近耳にしたのですが、このとてつもなく新しい概念が、もしかしたら科学、それも基礎科学のような、何の役に立つのかよくわからない営みに、新しい息吹を与えるかもしれません。
ちょっと考えもまとまっていないのですが、とにかく記事にしておきたい衝動でからキーボードに向かっています。
今の科学コミュニティーに問題意識を持っている方には、ぜひとも読んでいただきたいと思います。
VALUとは?
まず、そもそもVALUとは何か?
これについては、ブロガーのあんちゃさんの記事が分かりやすいです。
⇒ ど素人から始める!個人の価値を売買するサービス「VALU」の使い方。
ものすごくかいつまんで言うと、個人の人気度に応じて株価のような値をつける、そういったサービスだと思っておけば良いです。この株のことをVALU(バリュ)と呼びます。
株なので当然売り買いができますし、価格も変動します。人気のある人のVALUは価格が上がっていきますし、そうでない場合は下がります。
そしてVALUの最大のポイントは、こうした価格が仮想通貨であるビットコインと結びついているということ。
ビットコインは市場で通貨(リアルマネー)と取引されており、実質的には現金ないし有価証券と同じ価値をもっています。
ということは、VALUを持っているということは現金を持っていることと同じ意味を持つのです。
つまり、個人の人気やSNSの知名度などを現金という形で評価することができる、VALUとはそういったサービスなんですね。
自分で説明していてもなかなかに意味不明ですが(笑)、なんとなく未来を予感させるサービスだというイメージは湧いたでしょうか?
VALUの本質はトレーディングカード
さきほどVALUは株と同じようなものと書きましたが、厳密にいうと株とは異なります。
株との最大の違いは、配当が出ないこと。普通、株は持っていれば定期的に配当金が支払われますが、VALUでは配当金の支払いはありません。配当を明示してしまうと金融商品取引法などに抵触してしまう恐れがあるからです。
それでは有名人のVALUを所有するメリットはなんなのでしょうか?
たとえばVALUをたくさんもっている人に対して限定の商品を配ったり、会員専用のブログ記事が読めるようにするなどの優待を実施するといったことはできるかもしれません。
ただそれよりもっと本質的には、有名人のVALUを所有しているということ自体が所有者に満足感を与えるというのが、このサービスの説明としてはもっともしっくりくるような気がします。
そういう意味で、VALUはトレーディングカードのようなものだという評価が出ていますが、私もこの意見に賛成です。
トレーディングカード自体にはなんら価値がありませんが、希少というだけでコレクターの間で売買がなされており、なかにはとんでもない価値がつくこともあります。
VALUもこれと同じです。それ自体には価値はないものの、発行量が制限されているというただそれだけの理由で価格がつき、取引が行われるのですね。
VALUは科学者こそ使ってみるサービス
さて前置きが長くなりましたが、私がVALUのサービスを聞いたときに真っ先の思ったのが、これは科学者が利用したら面白いんではないかということでした。
このブログで今まで再三にわたって述べてきたように、いま科学者を取り巻く環境はメチャクチャになっています。どういうことが起こっているかというと、要するにみんな金がなくて困っているんですね。
まず個人レベルでいうと、若手の研究者はほぼ全員が非正規雇用状態に陥っています。契約が切れるといきなり収入の道がなくなってしまうということが普通に起こるために、泣く泣く研究者を諦める人が跡をたちません。
これってアニメーターが食えない仕事になっているのとほとんど同じ感覚なんですよね。どういうわけか分からないのですが、クリエイティブな仕事というのは末端に行けばいくほど生活が苦しくなるようです。
金がないのは組織レベルでも同じです。大学は運営費交付金をがんがん減らされており、人を雇う余裕もありません。本来なら研究者がやらなくて良いような事務仕事や大学運営まで研究者に押し付けられているため、研究に割ける時間がどんどん削られているということが起こっています。
こういう状況においてよく思うのが、これがもしアラブの富豪が個人的に運営している研究所とかだったら、こうした問題のほとんどはなくなるだろうなということなんですね。
研究者は生活に困らないだけの待遇を一生約束されており、研究以外の雑用をする必要は一切ありません。企業のように収入に結びつくような成果を出す必要もなく、論文は書いても書かなくても良い。ただただスポンサーの富豪が「それ、おもろいやんけー」と喜んでくれさえばいい。そんな研究所があったら、優秀な研究者は喜んで集まると思うんですよね。
VALUはそうしたアラブの富豪的な役割を担えるかもしれないと思ったのです。
なんの役に立つかすぐには分からないけど、とにかく聞いているだけでワクワクするような研究のアイディアをもっている科学者がいたとします。そういった研究者に対して、具体的な見返りは求めないけれど、ただただファンだからという理由で資金を提供できる、そういう場が世の中に出現したということです。
誰のために研究するのかという問題
とここまで書いたとき、一部の人のためだけに研究するというのはどうなんだろうと、ちょっと考えたんですね。研究者たるもの、自分のやりたいことだけをやるべきであって、スポンサーの顔色ばかりみていては自由な研究ができないのではないか、と。
でもこれは筋の悪い考えだとすぐに気づきました。要するに、今の科学者たちは本当に自由に研究しているかというとそんなことはないんですよ。具体的にいうと、科学者たちはアカデミアという権威に認められるために研究してるんです。
有名な雑誌に掲載されるような論文を書いて、アカデミアでの地位を固める。そうすると国からの予算をたくさん獲得できるので、それを使ってますます論文を書く。こういうサイクルをグルグル回すのが、研究者としての地位を固めるのにもっとも効率の良い方法です。
アカデミアでの権威づけの評価としては論文の質と数が重要とされているんですが、はっきりいってこれは滅茶苦茶なシステムです。破綻しているといってもいい。
具体的に言えば、捏造してデータをでっち上げるインセンティブがものすごく高くなるんですよ。短期間で急速に業績をあげて、なおかつ続けざまに有名雑誌に論文を載せるような研究者は、まず間違いなく不正な方法を使って論文を出しています。
不正をしてもそれを見抜くことは実は困難です。そして不正な結果を出したも困る人はほとんどいません。要は、アカデミアという閉じられた空間のなかで完結しているので、その外側にいる私たちにはなんの影響も及ぼさないんですね。
その結果としてブレーキが効かなくなり、私たちの生活空間にまでインパクトを及ぼしてしまうことが稀にあります。その顕著な例がSTAP細胞事件だったというわけです。
あそこまでいくと流石に叩かれますけどね。賢い人はそのさじ加減が抜群にうまいです。このようにしてアカデミアという権威は今や完全にハックされてしまっています。
科学にも民主化の波を!
ちょっと話しが脱線してしまったんですが、要するに科学者たちはアカデミアという権威に向かって仕事をしているということ。そしてその権威を支えるシステムは完全に時代遅れになっているということです。
だって今どき研究結果が一部の読者しか見られない雑誌に掲載されるとか、どう考えてもおかしいでしょう。
私が小さかった頃にあこがれた科学の世界って、もっと自由でワクワクするようなものだったんですよね。
ただ実際に経験してみて分かったのは、ものすごく古めかしくて旧態依然している、官僚主義的で腐敗した世界だったということです。
これって要するに、科学が一部の人の手にしか行き渡っていなかったことによる弊害なわけです。
これを何とかするには、既存の枠組みを超えた新しい概念を作り出すしかありません。
そのために必要なのは、インターネットのようにあらゆる垣根を壊して、世界をフラットにする仕組みです。
VALUをはじめとした仮想通貨による資金調達というのは、お金の世界に民主主義を取り入れた革命です。
この革命が、お金からも権威からも解き放たれた科学技術研究のシステムを支えることができるのではないか。いま私はそんなことを考え始めています。つまりこれは、科学の世界をより民主的にするツールになるのではないか、ということです。
まとめ
じゃあ具体的にどうしたらいいか?今のところ、はっきりいってノーアイディアです(笑)。
今のところVALUで資金調達できるのはSNSなどで人気のある一部のブロガーだけです。今後、ここにユーチューバーや芸能人などが入ってくるでしょうが、世間的に無名の科学者がどれほどの資金を調達できるのか、よく分かりません。
そもそも大学や企業に所属せず、ブロガーのように科学者が個人で一本立ちできるかなんて、想像すらできません。
でもね、このことを考えるのってメチャクチャ楽しいです。
私は、「これからのアカデミアはどうあるべきか?」みたいな話ってこのブログで書いたことがないんですよ。はっきりいってまったく興味が持てなかったんですね。どーなったって構わないし、別になくなったってほとんど人は困らないと思う。
でも科学がより民主的になるかもと考えたら、ものすごく熱い気持ちが出てきたんですよね。こうした気持ちになったのって、ほんと久しぶりな気がします。
このワクワク感をまずは大事にしたくて、この記事を書いてみました。
「科学にも民主化を」は、これからもじっくりと考えていきたいと思います。