大学などのアカデミアで長いこと研究をしていると、ふとこの研究はなんの意味があるのだろうと考えることはないでしょうか?
あるいは親戚や近所の人に自分の研究について説明するとき、それって何の役に立つんですかと無邪気に聞かれたとき、どのように答えるのがよいのでしょうか?
このブログではアカデミアという沈みゆく泥舟から研究者が脱出するための方法について書いたり、ブラック研究室に学生が近寄らないようにするために必要な知識について紹介することをメインテーマとしていますが、今回は趣向を変えてみまして、科学は何の役に立つのだろうかということについて、私なりの考えをお話ししてみたいと思います。
目次
イノベーションとは何だろうか
科学の話題に入る前に、まずはイノベーションということについて考えてみたいと思います。
イノベーションとは、それが起こることでそれまでとは全く異なる世界が生まれるような、そんな革新的な発明やアイディアのことを指します。
最近で言えばスマホの登場がこれにあたるでしょう。小型のPCと通信機器をかねそなえた手のひらに収まるほどのデバイスがこれほどまでに人類の生活を変えるとは、数年前までは考えられないことでした。
さらにさかのぼればインターネットの発明自体もイノベーションでした。現代に生きる我々にとっては、もはやインターネットがなかった時代がどんなものだったのか想像することすら困難になっています。インターネットの登場はまさに人類にとっての革命的な事件でした。
なにが将来の役に立つかは誰にも分からない
イノベーションの例としてスマホとインターネットを考えてみましたが、どちらもそれらが登場する前後で世の中の有様はがらりと変わりました。そこにあるのは進歩といった漸進的な変化ではなく、革命的ともいえる不連続な変化です。これがイノベーションの最大の特徴といえるでしょう。
イノベーションのもうひとつのポイントは、それが起こることを予見することがほぼ不可能だという点にあります。
よく昔の人が想像した21世紀の世界という絵がありますが、そこには空中を駆け巡る高速道路や、変な服を着た未来人の姿はあれど、スマホもインターネットも存在しません。未来のことを予測するのは非常に困難なのです。
結局のところ、なにが将来の役に立つのかは誰にも分からないのです。それがイノベーションの本質であり、面白いところでもあるのです。
科学がイノベーションを生み出すとき
ここで科学の話しに戻りましょう。科学こそまさに、将来は予見不能であるという現実をまざまざと見せつけてきた歴史でもあります。
キュリー夫人が大量の岩石の中から不思議な物質を精製しているとき、まさかその先に原子爆弾や原子力発電所を生み出す巨大なエネルギーが眠っていたとは想像すらできなかったでしょう。あるいはメンデルがエンドウのシワのでき方の統計をとっていたとき、その後数世紀にも渡って巻き起こるバイオテクノロジーの発展の基礎を築いていたのは夢にも思っていなかったでしょう。
科学的発見はときとしてイノベーションと呼ぶほかないような爆発的な進歩を人類にもたらすことがあります。ところが科学者自身はそんなことが起こるなどとは考えもせず、ただただ純粋な知的好奇心を満たすために研究を続けていただけなわけであり、このあたりに科学とイノベーションの奇妙で絶妙な関係が潜んでいるようにも思われます。
ところで我々は将来を予測することはできないのだという前提に立つならば、国家のあるべき科学政策の姿というものもおぼろげながら見えてきそうな気がします。つまり科学技術予算というのはなるべく広く浅く色々な研究を支援するように作られるべきであって、国家がおこがましくも「重点」などといって支援領域を勝手に絞り込むのは、人類の能力の限界を見誤った愚かな態度といってもよさそうです。
科学者はイノベーションを生み出さなくてはいけないのか?
さて冒頭の質問の「科学は何の役に立つのだろうか」という問に対して、これまで述べたイノベーションの考え方を適用するならばこんな風に答えられると思います。
つまり、今は分からないが将来とんでもなく素晴らしいものになる可能性がある、だからこそ基礎的で一見役にたたないものでも研究を続ける価値はあるのだ、と。
これが私の用意した1つ目の解答なのですが、この答えは同時に微妙な問題も含んでいます。それは、イノベーションを起こさなかった側の科学をどう扱うのかという問題です。
例えば国家が10の科学技術テーマを支援したとき、そのうち1つが素晴らしいイノベーションを生み出したとき、その成功確率は10%ということになります。これがもし2つの素晴らしい結果を生み出したら確率は20%となりますので、後者のほうが政策的には優れていることになってしまいます。そうすると最終的には、すべての研究でイノベーションを生み出すことが望ましいということになってしまいます。
結局のところ、イノベーションという結果重視の考え方を取った瞬間から、結果を出さなかった側のサイエンスをどうするのかについても考える必要が生じてくるのです。
科学が人類にもたらしたものとは?
ここで先に私が今考えているもう一つの科学の役割について述べてみたいと思います。科学の素晴らしいことろ、それは人間の不完全な部分を照らし出してくれるというところにあるのではないか、ということです。
研究をした人ならば誰しも経験したことがあると思いますが、直感的な初期の仮説というのはほとんどの場合において当たりません。正解にたどり着いてみて後から振り返ってみると、なぜあんな思い違いをしていたのだろうと思うことも多々あるでしょう。どうやらわたしたちの認知能力というのは相当程度に歪んだもののようです。
わたしたちが直感で世の中を見れば、太陽は地球の周りを回っているように見えますし、重いものは軽いものよりも早く落下しそうです。自然界はわたしたちの力の及ばない神によって支配されているようですし、敵対する外部の集団を殺してしまうほどの憎しみで見つめるかもしれません。
科学はこういった人間の不完全な認知的な歪みを長い年月をかけて修正してきました。この修正作業は今後も続いていくことでしょう。
ところで、人工知能の登場によってあらためて人間とは何かといったことが考えられるようになってきました。人工知能は人間以上に知的であり、かつどうやら芸術的なセンスもあるようです。つまり人間がいままで思っていた人間の素晴らしさというのは人工的に作ることができるものであることが分かってしまったのです。
であるならば人間らしさというのは完全性によって定義されるのではなく、不完全で歪んだ存在として見るべきなのでしょう。そしてそのとき、人間という存在を客観的にみつめるための物差しとして、科学というのはこれからますます重要になってくるのではないか。それが私の用意している2つ目の解答になります。
なおこのようにして科学を捉えてみると、論文の捏造というのがいかに科学の本質とかけ離れた営みであるかということがよくわかると思います。捏造というのは科学者が思い描いた矮小な妄想のストーリーに自然界の姿を無理やり当てはめる行為であって、科学で己の本来の姿を見つめようという思想とは真逆の態度といえるでしょう。
まとめ
今回は科学は何の役に立つのかについて、私なりの考えを述べてみました。本文中にあるように、私の考えは、
- 役に立つかどうかは今の時点では分からないが、だからこそイノベーションを生み出す素晴らしい発見があるかもしれない
- 仮に役に立たなかったとしても、人間の不完全さを照らし出すツールとして、科学はこれからより一層人類にとって重要なツールとなる
というあたりにあるのではないかと思っています。
ちなみにこの話題はポスドク転職物語の中でも、藤森教授や黒岩先輩に語らせています。どうやらこの話題が昔から好きなんですね(笑)。
・【ポスドク転職物語-21】ポスドクと、科学の価値。
ご興味があれば、そちらもぜひご覧ください。