研究

大学で研究する意味って何、って聞かれたら?

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ポスドクから民間企業へ転職して働き出すと、大学でどんな研究をしていたのかと聞かれることが多くなりましたが、そうしたときに決まって聞かれるのが「それってどういう意味があるんですか?」という質問です。

もちろん質問している方には悪気はなく、単純に興味本位で聞いているわけなのですが、この質問にどうやって答えるのかというのはなかなか難しいところでもあります。

特に基礎的な研究や先行研究のようなものは内容的にも理解が難しく、それらを分かりやすく解説することが果たして質問者の質問の意図に沿ったものかどうかもあやしいところがあるような気がします。

こうした問いかけに答えるときに、私はそもそも研究というものが自分の人生でどういう意味をもっていたのか、メタの視点で語れないかと常々思っています。今回はそんな話しです。

「数学が教えてくれたこと」といった同級生の言葉

高校の同級生に数学が大変得意な人がいました。どのくらい得意かというと、数学オリンピックでメダルを取ってくるような、それくらいのレベルです。

そんな彼ですが、大学では数学科ではなく物理学科に進学しました。大学入学時に院レベルの内容はだいたい勉強済みだったため、あえて新しい分野にチャレンジしたかったのでしょう。

その後、高校の同級生に彼の近況を尋ねてみたところ、結局のところ物理の分野でアカデミアに残ることはなく民間企業に就職したとのことでした。彼いわく、「数学からはいろいろと教わったが、物理からはそれほどの学びを得られなかった」と言っていたそうです。

数学と物理のフロンティアの世界など私には知る由もないのですが、結局のところ人には向き不向きというようなものがあるのだなあというエピソードとして印象に残る一方で、「数学から教わったこと」という美しい言い回しについては私の心の別の部分に長らく留まっています。

サイエンスが私に教えてくれたこと

私はこのエピソードを思い出すたびに、それでは自分はサイエンスという世界から何を教えてもらったのだろうかと自問自答することがあります。

自分の場合、ポスドクとしての研究生活はあまり恵まれたものといえませんでしたが、幸いなことにして大学の研究室では非常に有意義な研究生活と指導を受けることができました。ブラック研究室がはびこる昨今の時代にあって、あのような環境に身を置けたことはいくら感謝してもしつくせません。

そこで自分が教わったことはなんだったのでしょうか。

ひとつには、失敗を恐れなくなるということでしょう。

研究というものは答えのない問いに向かい続けるようなものです。当然、その過程で失敗を繰り返すこともあります。というか、失敗する可能性のほうがはるかに高いのです。ちょっとした新しい実験系でも、それが最初からうまくいく確率は10回やって1回あるかないかといった程度です。

うまくいかないことが前提で仕事をするというメンタルというのは、研究以外の仕事ではなかなかつかめない経験だと思います。

そしてこうしたことを繰り返すうちに、失敗を恐れずに新しいものにチャレンジする精神面と、それを可能にするための方法論といったものが自然と身につくことになるはずです。そしてこれはどんな仕事をする上でも使うことのできる汎用性の高い能力であると思います。

もう一つの学び、それは仮説思考でしょう。

研究というのは答えのないものに立ち向かっていく営みであるといいました。ではそこに向かってどうやって立ち向かうかといえば、仮設と検証という作業をひたすら繰り返すしかないというのがサイエンスからの学びの一つでした。

汎用性という意味では、仮説思考は民間企業で働く際にも役に立ちます。私の場合で言えば営業部門に所属していますので、どうやって売上をあげるかといったことを考えるときに、自然と仮説検証とPDCAのサイクルを回していくことになります。

ただ、これはあえていいますが、民間企業で仮説検証という言葉を使うときと、サイエンスの現場でのそれとでは、やはり本質的な部分において異なるところが多いように思うこともあります。民間企業ではうまくいかないことが前提というマインドは成り立ちにくいですし、営業的な打ち手というのは実は殆どの場合において答えはある程度見えています。

これは私の考えですが、人間というのは非常にバイアスというか、いびつな物の見方をする存在だと思っています。時には自分に都合の良い用に物事を解釈してしまい、科学的な真実に長い間近づけないということも歴史上何度もありました。

サイエンスに触れると、自分の直感や思い込みといったものがいかに不正確なのか思い知らされます。そんなとき唯一役に立つのが、余計なバイアスを一切排除した仮説思考だと思います。仮説思考はいわば人間の本能的な認知を正し、ありのままの自然の姿に近づくための思考様式なのではないでしょうか。そしてこうしたことを考えるには、大学のような場所で本物の研究に触れるという体験が一番の近道なのだと、私は信じています。

実りある研究生活を送るにはブラック研究室に行かないことが大前提

このように、私は研究という営みを通してサイエンスから色々なものを学び取ることができました。

そしてこれは何もアカデミアに残る人だけに言えることではなく、世界最先端の研究トピックとその手法を実際に体験できることは、全ての学生にとって最高の教育体験になるはずです。そこで身につけた経験というものは、たとえアカデミアに進まなかったとしても、その後の人生に間違いなく大きな影響を与えるはずでしょう。

ただしそのような体験をするためには、若い学生は決してブラック研究室に迷い込まないことが大前提です。

学生を単なる労働力としてしか見ていない研究室がまだまだ数多くありますが、高額な学費と莫大な時間を費やすのに値する研究室もいくつも存在しているはずですから、それらを頑張って探し出してみてください。

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まとめ

ポスドクの就職難や大学の予算削減など、研究を取り巻く環境はなかなか明るい兆しが見えません。

そんなとき改めて問われるのが、そもそも大学とは?研究とは?といった素朴かつ本質的な議論です。

今回はそんな議論に対する答えとして、私のごく個人的な体験についてまとめてみました。

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