教育

中学生の25%に読解力がないのは、遺伝による影響かもしれない

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中学生の25%が、教科書や新聞に書かれている内容そのものが読めていない、とするショッキングなニュースが出ました。

中3「教科書理解できない」25%…読解力不足 (読売新聞 2017年09月23日)

研究の中心となったのは、AI(人工知能)の研究で有名な国立情報学研究所教授の新井紀子先生です。新井先生は、東大合格をAIで目指す「東ロボくん」の開発でも有名です。

東ロボくんや今回の研究の背景、そして25%の中学生が解けなかった基礎的な問題とはどういった内容なのかについては、下記の記事に詳しく書かれています。

AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?
https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20161114-00064079/

こうした研究に対して、そもそも出題された問題が悪文であるという主張があります。

中高生の読解力テスト、問題が悪いと思う。
https://www.nasnem.xyz/entry/incorrect-comprehension-test

これに対し、問題は悪文ではなく、文章構造を読み取れる力を問うているのだという意見も出ています。

中高生の読解力テストの問題は特に悪い問題ではありません
http://mubou.seesaa.net/article/453754579.html

このように、今回の中高生テストは多くの人の関心を引きつける話題となりつつあります。

今回、私はこの研究を聞いて、子どもの読解力というものはある程度遺伝によって決まっており、教育の力で伸ばすことは不可能なのではないかという仮説を持ちました。

「学力は遺伝的に決まる」という主張は実は科学的には目新しいものではありませんが、ある意味で非常にセンシティブな話題でもあります。

人々の読解力が遺伝によってある程度決まってしまっていたとすると、私たちはどのようにして教育問題を考えたら良いのでしょうか?

中学生の学力差を生み出すものは何なのか?

25%もの生徒が基礎的な読解力すら持っておらず、問題文そのものの意味が理解できていなことが分かった、というのが今回の研究の主張です。

さて、なぜこれほどの生徒が読解力を身につけられなかったのでしょうか?読書習慣がないから?スマホばかりいじっているから?

残念ながら、今回の調査ではこれらは基礎的な読解力とは相関がないことが示されています。

もしも読解力に影響を与える要素を見つけ出すことができれば、それらを使って効果的に子どもの能力を引き出すことができるはずです。

ところが、残念ながら今のところ何によってこれほどの差が生じているのか、統計的な答えは見えてきません。

人の能力は遺伝で決まる!?

この研究結果を聞いたとき、私はすぐにもう一つの別の研究のことを思い出しました。

著者の安藤先生は、双子を使った遺伝による行動の研究で有名な方です。

サブタイトルにあるように「すべての能力は遺伝である」という結論が、本書を読むといかに強固で自明なことかが良くわかります。

私たち、とくにリベラルな価値観を持った人にとって、ある種の能力が努力や根性では伸びない、あるいは非常に伸びにくいということを認めることは大変に受け入れがたいことです。本書のタイトルが「不都合な真実」となっているのは、まさにそのあたりの事情を汲み取ってのものです。

私たちの能力、そしてそこにはもちろん学力や読解力も含まれるのですが、これらは遺伝子という生得的な要因によって強く規定され、生まれながらにして決定づけられたものだと考えるのが、現代では妥当な結論とされています。

読解力の差が遺伝で決まる場合、何が起こるか

さて、25%の生徒に基礎的な読解力がなかったとする今回の研究ですが、これらの生徒には読解に必要なある種の遺伝的な要因が非常に弱かったのではないかと考えることは「不都合」なことでしょうか?

もし遺伝要因が大きかったとすると、教育という後天的な環境要因では読解力の向上は非常に限定的なものにならざるをえないでしょう。

新井先生の今後の研究テーマは、いかにして子どもの読解力を底上げするか、そしてそのために公教育は何が出来るのかという方向に向かうはずです。そうした場合、読解力における遺伝要因というのはまったくもって「不都合」な真実になってしまいます。

このあたりのところについては、不毛な論争を繰り返すのではなく、実際に研究調査をして明らかにしてもらいたいと思います。ここ数年の技術進展により、ゲノムワイドな解析はより安価かつ高性能になっています。遺伝と学力という禁断の領域が切り開かれるのも、時間の問題でしょう。

ここから先は、仮に読解力が遺伝的要因によって強く規定されていると仮定したとき、それでは私たちはどのようにしてこの事実に向き合えばよいかについて考察してみたいと思います。

その1 受け手ではなく、送り手側の能力が問われる

従来の価値観では、文章が読めないのは読み手側の問題であるから、いかにして読み手側の能力を上げるかが課題となっていました。

ところがもし仮に読み手側の能力が遺伝的要因によって規定されていた場合、事態は真逆になります。つまり、文章を書く側の能力が問われるのです。

先ほどの研究に出題された問題ですが、多方面から「文章として分かりづらい」という意見が出ています。確かに、一回読んだだけではすっと頭に入ってこないような、少し構文が複雑な問題です。

このような文章は、実生活では普通「悪文」として嫌われます。そうした悪文が、教科書であったり、公的な文章に使われていること、そのことが問題なのです。

悪文とされているものを、誰でも理解できるユニバーサルな内容に変更するには、それなりのエネルギーが必要となります。私たちの社会は、そのエネルギーを、読解力の弱い人たちの教育に費やそうとしています。しかし、福祉的な観点からすれば、「持っている人」が「持っていない人」のために多少の骨を折ることのほうが望ましいでしょう。

どのような内容であれば、誰でも理解できる情報の伝え方になるのか。今後はそうした視点を持てるかどうかの能力が問われるのだと思います。

その2 早期に自分の能力を見出すことが重要になる

読解力が遺伝的な要因によって規定されているのならば、後天的な努力や根性で伸ばせる伸びしろは限定的です。であるのならそこにリソースを費やすのではなく、自分にとって得意な領域を精一杯伸ばすほうが、幸福度は高いでしょう。

人は弱みによって規定されるのではなく、強みによって評価されるべきです。

現代的な能力開発の基礎は、生まれながらにして持っている得意な分野を早期に見つけ、そこを集中的に伸ばしていくことに置かれています。

ある種の思想を持った人々は、弱点を克服して全ての能力において均等に力を出せている状態がパーフェクトであると考えています。こうした価値観において、弱い部分をそのままにするということは考えられないことでしょう。

読解力という基礎的な能力において、弱み強みに基づいた個別の指導法をおこなうことは倫理的に許されるのか。私たちの社会の価値観そのものが試されることになるでしょう。

その3 格差解消の取り組み方に変化が起こる

今回の研究では、読解力の高い子どもはそのまま偏差値の高い高校に進学し、そうでない子どもは偏差値の低い高校へ進学しているらしいことが明らかになりました。

つまり、中学校の時点での学力の差が、そのままその後の進路を規定するのです。

高校進学後のそれぞれのキャリアを想像すれば、こうした差がその後の人生における収入差や社会的格差につながることはある程度予想できます。

格差解消を教育に期待する人は、小さいときから勉強という努力をきちんとおこなうことで、このような差がなくなると考えています。

ところが、読解力などの基礎能力が遺伝によって決定されているとするならば、教育によって解消できる差は限定的です。

そうであるならば、学力差によって社会的格差が生じてしまうという、社会構造そのものを変化できないかと考えたほうが合理的です。

考えてみれば、私たちの社会はちょっと難しい言葉であったり、ややこしい手続きであふれています。これまではこうした処理を、「学力の高い」と考えられている人たちが独占的におこなうことで、それに見合うであろう対価を得ていました。

今後、AIの発達で難しいとされていた処理が自動化されるようになれば、学力といった均一の価値観では測れない能力で評価される社会が立ちあがってくるかもしれません。その社会は、すべての人がそれぞれの能力を活かすことで幸福に過ごせるような世界であるべきでしょう。

公教育はマーケティング的な手法を取り入れよう

受け手側ではなく、送り手側がコストをかけて情報を発信するべきというのは、実はそれほど荒唐無稽な話ではありません。要は、ビジネスという世界の価値観です。

特にマーケティングでは、情報を伝えたい相手がどういった集団なのかを特定し、その集団にもっとも効果的な方法で情報を伝達するためにはどうしたら最適なのかを考える営みといえるでしょう。

私たちは良い製品を作った、だからあとはお客さんがその価値に気づくのを待っていれば良い、という発想ではビジネスは成立しません。常に相手の側に立ってものごとをすすめる、これがあらゆるビジネスの基本です。

このようにして考えてみると、ビジネス、特にマーケティングやセールスの伝統的な手法が、公教育における伝え手側のあり方の大きなヒントになるような気がします。

まとめ

学力、それも今回の話題の中心となった読解力といった基礎的な能力が、遺伝という生得的な要因によって規定されている可能性について、私自身はかなり高いと考えています。

そのとき私たちが期待すべきなのは、教育によって弱みを補強するような考えではなく、教育を与える側であったり私たちを受け入れている社会そのもののあり方を考え直すことなのではないでしょうか?

安藤先生の研究については、以下の記事を読むとさらに理解が深まります。

「遺伝子は『不都合な真実』か?」(日本子ども学会)
http://www.blog.crn.or.jp/kodomogaku/cafe2-1.html

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  • 管理人プロフィール

ケンドー修介

東大を卒業して研究者の道に進むも、アカデミアの厳しい現実に直面してドロップアウト。 夢破れて借金あり、なんて言ってもいられず、30半ばから資産形成を開始。インデックス投資のほか、仮想通貨やブログ運営による収益化も組み合わせています。 副業ブログによる収益は、初年度で100万円を超えました。

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